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「何のためにそれやるの?」…意味なんて後付けでいいんです。

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僕の周りには志が高い人が多いんですけど、たまに困ることが起きます。

行動と考えが一致していないと、論破しようと責めてくる人

厳密に言うと、行動と志が一致していないように見られている、もしくは勝手にその志は素晴らしい/ダメだってジャッジしてくる。

「で、一体何をしてるの?」「それってその想いとマッチしてなくない?」みたいな感じで責めてくるというか、論破してこようとしてくる人、一体何なんですかねー。

ただ好奇心で質問してくる人は素敵だと思うんですけど、最初から論破するつもりで質問してくる人には本当に嫌気がさすわけです。なんで勝手にジャッジしてきて、勝手に幻滅して、勝手に上から目線で責め立ててくるんでしょうかね〜。

「志」って本当に必要?

そもそも志って必要ですか?僕の答えは「No」なんですよ。この考えは昔も今も変わっていません。

そもそも志なんてそんな簡単には見つかりませんって。あったとしても変動して何が悪いんでしょうか。志を問いてくるそこのあなただって矛盾してること絶対にありますよ。周りに指摘されてないだけで。僕は今までの人生で志と行動が完全に一致している人、ほとんど会ったことないですもん。

「後付け」なんですよ。意味や理由なんて。

僕の考えとしては、理由や意味なんてものは全て後付けでいいんです。
「行動する前に志を考える」なんてルール、誰も作ってないんですよね。いいんです、楽しそうでも、モテたいでも。
行動した後にわかることってたくさんあるじゃないです。それでいいんですよ。

後付けで意味を見出していきましょう

というわけで、行動してもがいて行動してもがいて…って人、ぼくは好きですよ。
少なくとも志だとかを語るくせに動かないって人や、勝手に人を自分の軸で評価してはあーだこーだ言ってくる人よりは。


一度っきりの人生、一緒にもがいてみようじゃないですか。誰がどう思おうが、自分自身を納得させることができる人生を歩みましょう!
親友の死をキッカケに”働く×生きる”を模索。
現在、特別なスキルがない人でも「場所に囚われない働き方」ができるような仕組みを作って広げてます。