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自己欺瞞は社会毒!?「誰かのため」なんて嘘をつかずに、エゴであると認めよう

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これは僕のこれまでの人生で最も反省すべきことかもしれません。

エトウアキヒロの欠点。「誰かのため」という無益なエネルギー


これまでの僕は「応援力」という言葉を勝手に定義し、それらを追い求めてきました。それは純粋に誰かが何かを成し遂げたいという時に全力で手助けできるようになりたかったんです。

今のベンチャー企業に入った理由の一つも、純粋に「この人たちのために」という気持ちが強かったんです。格好つけてるわけじゃないんですけどね。

学生時代の頃の僕からすると今の会社の創業メンバーはヒーローに見えたんですよ。俺がこのヒーロー達をフォローしてみせる!みたいな感覚で誘われるがままに仲間に入りました。

「誰かのため」だけでは長続きしない


今の僕は誰かのためという考えを持たないように意識しています。というのもその考え方は長期的に考えてお互いにとって毒なんですね〜。継続できなくなっちゃうんです。


他人の上に自分のやりがいを見つけていては、必ずその他人に見返りを求めるようになってしまいます

相手から期待していた反応がないと、恩知らずに見えてきちゃうんですよねー。結果、「誰かのため」に動きたくて動いたにも関わらず、勝手に裏切られた気持ちになって、モチベーション継続できなくなって逆に迷惑をかけてしまったりするんです。

恩知らずというのは、相手が作り出すものではなく完全に自分自身で作り出した感情です。勝手に相手に恩を送っといて、勝手に損した気分になっている、そんな不憫なことはないですよ。

自分のエゴを認めるべき


僕は誰かのために動くことが大好きなんです。誰かに喜んでもらえることは僕にとって最高の喜びです。しかしその裏では、その満足度を得るために動いているという「自分のため」という側面が必ず存在します。というよりも、本来の目的はそんな自分のために動いていたりするものです。

誰かのため、と思い込みたい気持ちももちろんわかります。僕だってそうやって20年以上は生きてきました。でも、そんな感情は捨てて、全ては自分のエゴなんだと認めてしまうことが大切なんです。

「誰かのため」という純粋な人を利用する悪どい輩もいる


これ、僕の周りで非常に多い現象なんですが、「誰かのため」という感情が強い人はケッコーな割合で変な組織に貢献しています。

最近も近所のラーメン屋で社員として働いていた友人がいるのですが、その友人は1年以上まともに給料をもらっていません。額にすると200万円以上未払い状態です。
そのラーメン屋は僕の友人がいなければ確実に潰れていると断言できるほど、僕の友人に依存しています。1日の睡眠時間が2~3時間で、365日働いて給料なしって何ですかそれ。もはや事件ですよ。

ここで問題なのは僕の友人の感覚です。「オーナーもいい人だからさ、責められないんだよね」何を言っているんでしょう。あなたは給料を1年以上も貰っておらず、休みももらっていない。そのことを気にもかけずにズルズルとラーメン屋を運営しているオーナーを「いい人」と言っている時点で、ダメでしょう。

僕が尊敬する某ウェディング会社の社長さんは「社員にお金を払うことこそが経営者の最大の仕事である」と断言しています。給料をもらっていないことを責めずに許容していては、経営者としてもお店のオーナーは成長しないでしょう。オーナーのためにもそこは心を鬼にして給料を払わせるべきです。給料払えないならお店は潰れるしかないのです。社員を犠牲にしてまでズルズル進んでいる企業はどのみち潰れます。

自分のためというエゴを許容しよう


ふぅ……ちょっと熱くなってしまいました。こーいうネタには最近どうしても反応してしまうんですよね。僕は自分の人生を使って、「これからの時代の働き方」を発掘しようとしているような気がしてきました。今の僕は「志って本当に必要なのか?」とかってことを考えてたりします。

とにかく「誰かのため」という感覚でモヤモヤしているのであれば、自分のエゴを認めて「全ては自分のため」だと思ってしまいましょう。自己欺瞞は自分にとっても誰かにとっても社会にとっても毒です。常に自分にとっての利益も考えるよう意識してみれば、自分の半径5m以内の社会はきっといい方向に進むと思います。

親友の死をキッカケに”働く×生きる”を模索。
現在、特別なスキルがない人でも「場所に囚われない働き方」ができるような仕組みを作って広げてます。